教室コラム#17 手術を教える, 教わる 「言語化」と「見て盗め」の間. 後編

手術を教える,教わる「言語化」と「見て盗め」の間. 後編

石井 隆道

前回まで

手術に関する知識の多くは視覚情報であり,その知識の性質から,言語化が極めて難しいことを話してきました.特にその知識の核心に迫るほど言語化が不可能になり,「見て盗め」方式の知識伝達方法にもある程度の有用性は否定できません.しかし令和の時代にこの教育方法を押し進めることは難しい.そのヒントとして登場したのが、言語と視覚情報が芸術的なレベルにまで統合された漫画でした.そして今回はそこから導き出される手術イラストの力についてさらに深掘りしていきます.

 

コミュニケーションや教育のツールとしての手術イラスト

世の中には視覚思考者と言語思考者とがいるようです.視覚思考者,すなわち物事を頭の中で視覚的なイメージで思考し,しかしながら,その思考結果を言語化することが苦手な人たちです.多くの人は視覚思考と言語思考の中間にあたるようですが,外科医はどうでしょうか.少なくとも手術の前のシミュレーションを行うにあたって言語だけで考えている外科医はいないでしょう.術前の検査結果から開腹時の様子を想像したり,以前に行われた同様の手術ビデオをみたりして,手術のプランを立てるわけですが,そこに言語が介入する割合は極めて少ないはずです.そして手術中は文字通り眼前の光景にある視覚情報を頼りに手術を行なっていきます. さらに手術が終われば手術記録を作成するのですが,文字だけでなく手術イラストを描いて添付します.こうしてみると手術の一連の作業にあたって,言語より視覚情報が主になっていることがわかると思います.つまり手術にあたって外科医は視覚思考者になっており,この視覚思考の内容を外科チームと共有するために,わざわざ言語に翻訳して解像度を落とす必要はありません.そのまま手術イラストとして共有する方が効率も良いことがわかると思います.

 

漫画に学ぶ手術イラスト作成術

とは言いましても,手術について自分の頭の中で考えたり処理したりするのは自由ですが,それを他人へ伝えるためには剥き出しの思考内容では伝わりません.手術について視覚思考した内容を多くの人に共有するためには,イラストへ描き表す技術やコツが必要です. そのコツを言語化して説明するのは今まで述べてきたことと矛盾するように思いますが,頑張って行なってみます.そして外科医が手術イラストを日常的に描くのは手術記録に添付するイラストであると思いますので,手術記録を作成することを念頭において述べていきたいと思います.以下の技法はおもにさいとう・たかを劇画文化財団が出している「さいとう・たかをの劇画専科 初等科コース」を参考にしています.これはWEBから全ページ閲覧できますので外科医なら必読の書の一つです.

余談ですが,さいとう・たかをは漫画業界に分業性を導入したことでも知られています.脚本やキャラクター作り,小物の描写,背景作成などを一人で行うのではなくチームで作業し漫画作品を作成していました.そのような背景があり,さいとう・たかをの作画ポリシーを共有するためにもこのような冊子が作成されたのではないかと想像しています.

  • 透過図;見えないものをあえて描く

見えている光景だけが全てではないということです.手術中には残すべき組織と切除するべき組織とを分けて考えますが,それらは必ずしも見えてはいません.術前の検査などを参考に血管の走行などを想像しながら手術を行なっています.その時に見えない構造をあえて透かして描く透過図は役に立つでしょう.

  • 省略と強調;余白という武器

長谷川等伯に松林図屏風という作品があります.有名な屏風絵であり,WEBで検索すると作品を見ることができます.和紙の屏風に墨で松を描いた作品です.複数の松が描かれている他は何も描かれておらず,余白を多用した作品です.現実世界には何もない空間は存在しませんので,余白は説明を拒否した芸術的態度といえます.手術イラストを作成するためにも余白を用いることは大切だと思います.手術においてあまり重要でない箇所を省いて描くことにより,重要な箇所を際立たせる効果があるだけでなく,時間の節約にもなります.

一方で,重要な箇所は強調して描きます.具体的には臓器や組織を表す線を濃く太く描いたり,陰影を表す線を描き込んだり,色を塗ったりすることで,その箇所を際立たせます.

  • デフォルメ;空間も時間も歪めて

省略と強調もデフォルメの一つですが,もう少し進んでデフォルメを歪みととらえて,「長さや大きさの変形」,「異なる視点からの観察」そして「異なる時間を同じイラストへ描く」という観点で考えてみたいと思います.これらを考える時にポール・セザンヌの「果物籠のある生物(台所のテーブル)」を参考にしたいと思います.これも有名な絵画であり,WEBで検索すると作品を見ることができます.作品手前にあるテーブルに載っているティーポットが斜めに描かれており,やや奥に位置する壺は上からの視点で描かれているのに対してそのすぐ奥にある果物籠は真横の視点から描かれています.そしてテーブル自体は左右で高さが異なっています.このように極端にする必要はありませんが,重要な構造物はやや大きめに,あまり重要でない構造物は小さめに描いたりすると,より省略と強調が際立ちます.また手術ビデオでは決して同じ視野に現れないような構造物も異なった視点から観察したように描いて同じイラストに表現します.そして視点と同じく,時間軸もずらして同じイラストに表現してもいいと思っています.時間と共に手術は進んでいきます.手術ビデオを見ながらイラストを描き起こす際に痛感すると思うのですが,一連の操作が同時に画面に現れることはありません.例えばグリソン鞘を処理する場合,これを全周性に剥離してテーピングを行い,テストクランプして虚血域を観察し,場合によっては次にある程度肝切離を行いグリソン鞘の周囲を広く展開し,結紮あるいはクリップ,ステープラーなどで処理します.処理後も場合によって胆道造影などを追加して残存側の脈管が狭窄していないことを確認しています.この一連の操作を1〜2枚のイラストの中で“前・中・後”すべて描いてしまう.これができるのは写真やビデオにはない,イラストならではの強みです.

  • イラスト同士の配置;視線の誘導

漫画では「コマ割り」と呼ばれますが,従来4コマ漫画のような単調なコマ割りを大胆に組み替えて表現の手法までに発展させたのは手塚治虫と言われています(諸説あるようですが).手術イラストの場合,一枚の紙にいくつかのイラストを描くことが多いですが,視線を誘導し可読性を高めるために最初のイラストを左上に描き,次からはジグザクに配置するといいと思っています.ちょっとしたレイアウトの工夫が伝わりやすさの質を大きく変えます.

 

手術記録や教育なら,写真やビデオで十分じゃない?

確かに現代は高精細な映像技術が発達し,手術の様子をリアルタイムで記録・共有することが可能になりました.特にビデオは臨場感があり,実際の動きやタイミングをそのまま伝えることができます.しかし,ビデオには流れてしまうという弱点があります.5時間の手術を見るためには通常速度で5時間,5倍速で流しても1時間必要で,必要な場面を探すには巻き戻しや早送りが必要です.視点も撮影者のカメラ位置に固定されてしまいます.つまり情報の「選択」や「整理」が難しいのです.これは手術写真でも同じことで,写真の範囲内で全ての情報が等しく写っているため,何が重要で何が重要でないのか,注釈がなければ外科医でも理解しにくいものです.

一方でイラストは“止める“ことで描き手が「何を見せたいか」「何を省略するか」を意図的にコントロールできます.たとえば,手術のある場面で重要な血管の走行だけを強調し,周囲の構造はあえて描かない.あるいは,時間軸を飛び越えて,複数の操作手順を一枚にまとめて,一目で手術の流れを理解することができる.こうした表現は,写真やビデオでは不可能です.つまり,イラストは単なる代替手段ではなく,情報を「編集し,伝える」ための創造的な手段なのです.写真やビデオが現実を「記録する」ものだとすれば,イラストは外科医が認識した世界を「再構成する」ものといってもいいでしょう.だからこそ,手術記録や教育において今もなお大きな価値を持っているのです.

 

おわりに

手術の知識は言語だけで伝えきれない世界です.だからこそ視覚的に伝える工夫が必要になります.そしてそのヒントは漫画や美術の世界にありました.「言語化」でも「見て盗め」でもない,これからは「描いて伝える」へ.手術教育の未来はもっと創造的でもっと面白くなれると信じています.